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3月11日現在の捜索済エリア

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遭難対策本部事務局のIさんから捜索済エリアをいただいた。
考えられるところは捜索し尽くしたかにみえるが、意外なところがまだ抜けているように思う。登山計画書通りなら、藤原に戻るか鞍掛に降りるような行動を取っていると思う。Nさんの遭難の1週間前の山行は、ラッセルを強いられ、鈴北岳1056までがやっとのことだった。そのようなときは来た道を戻ると思うが、遭難した1週間後は、雪が締まり、冬型の厳しい天候になっていたとはいえ、結構歩きやすかったと思う。私も例年、雪の締まる2月中旬を目処に御池テント山行を計画している。
http://web.me.com/photocb/html/2011/2011_02_1213oike/2011_02_1213.htm
http://web.me.com/photocb/html/2011/2011_02_1920oike/2011_02_1920.htm
冬のテント泊にも少し慣れ、気持ちにもゆとりが出てきたのかもしれない。計画的で慎重なNさんも、二日目は少し変化がほしいところだ。かといってバリエーションで下山するほどの力量はない。次回はこの観点で、捜索エリアを選定したい。

今週末の捜索について その2

ブログ「りゅう太の徒然日記(+鉄分少々)」
2/26再び御池岳へ。そしてNさんの行動を推測する
http://pub.ne.jp/ryuuta/?entry_id=4183208

りゅう太さんの26日の記録ですが、
2月11日の記録 http://pub.ne.jp/ryuuta/?entry_id=4164089 と比較してわかることは、
丸山から下ったトレースが残っているということ。2月11日と26日の写真を比較しみると、登りはトレースを共有しているし、下りのワカンの足跡の歩幅が長い。12日の下山なら新雪のトレースは雨で消えていると思うので、やはりその日のうちに丸山を下ったと推測できる。トレースをたどればいいので道迷いはなく、野営適地を探しながら下ったと思われる。
積雪期の場合の野営適地は、雪崩の心配がなく、風が避けられ、少し平坦なところがあればどこでもOKで、できれば展望がよい所に設営したい。しかし、11日から12日にかけては冬型の天候だったので、丸山付近かテーブルランドでの設営は厳しかったかもしれない。
いずれにしろ、このトレース痕の事実から、来た道を戻るつもりだったと判断できる。さて、野営地だが、冬山なのでかなり慎重になったと思う。上の条件を満たし実績のあるところ、つまりネットで得た情報をもとに、あらかじめの目安があったのかもしれない。

これは昨年の同時季の私のレポートだが、野営地は、真の谷左岸尾根の乗り越し部分の平坦地を選んだ。私もNさんと同じ携帯会社だが、たしかメールの送受信は出来たと思う。
http://web.me.com/photocb/html/2011/2011_02_1213oike/2011_02_1213.htm
りゅう太さんの26日の記録をみると、それらしき痕跡を確認している。やはり、地形的にも、あのあたりしかないと思うのだが。

12日のNさんはどのような行動をとったか?
野営地の推定から判断すると、実績のある鞍掛け方面には向かわなかったと思われる。12日の天候はどうだったかというと、私はこの日、御在所岳本谷を登っていた。
http://web.me.com/photocb/html/2012/2012_02_12gozaisho/2012_02_12.htm
この日は、冬型の厳しい天候だったはず。登り返し、吹雪をついて鈴北には向かわなかったと思われる。穏やかな天候なら、スノーハイクで鈴北まで足を伸ばしたことも考えられるが。朝6時33分の自宅への下山メールは、この時点で下山を決めたということ。初心者が冬山をやる場合、まず、テント泊すること自体が目標になる。目標が達成できたし、天気も悪いので、あとは下山あるのみ。


帰路は、普通に考えると、また、これまでのNさんの経験から判断すると、県境稜線をたどったと思う。わざわざ真の谷を下り、白瀬峠へ登り返りだろうか。積雪期の谷ルートは厳しいことは知っていただろう。

もし、カタクリ峠まで来たら、ルートは3つあるが、カタクリ峠までで迷ったことも考えられる。
1 そのまま県境稜線を縦走する。
2 コグルミ谷を下る。
3 一旦、真の谷に下り、白瀬峠で県境稜線に合流する

可能性が一番高いのは県境稜線を辿ることだが、このルート上で転倒滑落、雪庇の踏み抜きなどのアクシデントが発生しただろうか。普通に尾根の芯を歩いていたら、事故は考えにくい。もし、転倒滑落を疑うのであれば、痩せ尾根のところ(カタクリ峠と白瀬峠の間)になる。視界不良で道に迷い、事故につながった可能性の方が高いと思うが。このルートは、無積雪期なら踏み跡がしっかりとしているが、積雪期は目印を見つけにくい。というか、自由にスノーハイクしたいところだ。ならば、迷いやすいのはどこか、となる。
ここで気になるのは、12日の11時ころの白瀬峠にトレースなしの報告をどうするか。この日はそれほど積雪がなかったし、トレースが風に吹き消されたことも考えられる。もしトレースなしが本当なら、白瀬峠から藤原側を除外できるが。そして、遭難地点は携帯の電波が届かない所だ。

ここでこんな情報がある。
http://ameblo.jp/akabou-kinya/entry-11163377197.html
2012-02-13 08:14:03
Theme: ブログ
昨日またまた鈴鹿スノーハイクに行ってきました。御池岳リベンジです

前日に大貝戸登山口行きました。無料休憩所にはすでに二人が寝ており、仕方なく何時ものようにツェルトを床に広げ、その中に潜り込んで仮眠。4時40分に出発、雪は降っていましたが、あまり寒さは感じませんでした。
2時間で藤原山荘着、休憩も無くそのまま御池岳に向いました。
白瀬峠8時、御池岳山頂には10時に到着しました。
帰路の途中の白瀬峠まで他の登山者に会うことも無く、まったくトレースの無い新雪を歩く事ができました。
クラストした雪の上に新雪が積もった好条件で、深くは潜りませんでした。
白瀬峠から木和田尾道で西藤原に下りました。
途中3パーティー20人程に会いました。

以上

もしこの二つの情報が正しいとすると、かなり絞り込めるが。

今週末の捜索の目安を考えてみたが、皆が協力して、可能性のある所を地道につぶしていくしかないだろう。

*二つのサイトから無断引用させていただいております、ご了承ください。

真の谷、雪崩の痕跡の調査

昨日、今日(3月8日)と遭難対策委員会のIさんらが、丸山の南から真の谷へ派生する尾根末端の雪崩の痕跡の調査を行ったとのこと。残念ながら手がかりは得られなかったらしい。真の谷も何度か捜索に入っているが、手がかりなしの状態だ。Nさんは、これまでに経験のない、真の谷は避けているということだろう。ならば、コグルミ谷右岸尾根、木和田尾根、丸尾もしかり。登山届け通り、来た道を藤原方面にもどったか、それとも過去に実績のある鈴北経由で鞍掛峠から下山しようとしたかになる。

藤原岳・御池岳・鈴北岳 捜索情報 Wiki
http://www50.atwiki.jp/hnagashi/pages/13.html

今週末の捜索は

なかなか捜索エリアを絞り込める情報が得られない。
対策本部では、テーブルランドから真の谷に派生する尾根末端の雪崩の痕跡を調査するとのこと。朗報を期待したい。
数少ない情報のなかに、携帯のメール送信記録がある。12日6時33分にメールを家族に送っている。その時点で、電波の届く範囲にいたということ。そして、夕方には通じなかった。この時点で何らかのアクシデントに見舞われ、電波の届かない所に入ったということ。携帯の通信可能エリアがどこか、そこを除外すればいいわけだが。

捜索に携わって

 Nさんが遭難してから3週間、山岳会を中心に有志の方も多く参加し、捜索が行われているが、依然として発見に至っていない。
 Nさんの経験値や数少ない情報から推測し、可能性の高い所から捜索が行われたのはいうまでもない。しかし、手掛かりすら得られない現実があり、きびしい状況が続いている。
 Nさん、あなたは一体どこにいるのだ。捜索に4回参加したが、見つけてあげることが出来なかった。御池岳を我が庭のように歩き回ってきたので多少の自信はあるつもりでいた。しかし、見つけてあげられないことができない。今まで積み上げてきたキャリアもプライドもズタズタだ。些細な情報でいいから、居場所につながるヒントをもらえないか。
 テント泊の単独冬山登山。十分な装備と心構えで、美しいが厳しい自然に挑む。期待と不安が入り交り、冒険心がうずいたことだろう。管理された指定地での野営でも最初は、いろいろと考え不安になるものだ。冬山の単独テント泊はそれほどたやすくはない。天候判断、設営場所などすべてが自己責任だ。その分、やり遂げた後の達成感は大きい。
 Nさん、あなたはそれを知り始めたところだった。しかし、登山歴3年ではちょっとハードルが高かったのかもしれない。朝から冬型が強まり視界不良となった。かじかんだ手でテントを撤収しパッキング。今から下山するとメールし下山開始。しかし、想定外のアクシデントに遭遇してしまったのだろう。道迷いなら、冬山装備で凌げたはずだ。きっと、突然のアクシデントに対応できなかったのだろう。

今週末の捜索について

○今週末の捜索に参加するにあたって、もう一度、頭を整理する
登山道からの滑落・転落については、捜索しつくしたと思われる。もう一か所、タテ谷のトラバースからの滑落可能性の捜索が残っていが。また、雪解けに伴い、これから発見される可能性がないわけではないが。
やはり今回の遭難は、道迷いから始まったと解釈した方がいいだろう。Nさんは、装備はしっかりとしたものを準備していた。ブログを見る限り、研究熱心で計画的で慎重な性格なのだろう。登山経験が浅くとも、準備はできるだろう。そかし、バリエーションをコンパスと地形図で歩くことができる技能を身につけるには、経験の積み重ねが必要だ。しかも、厳しい冬山だ。これが前提となる。
登山歴3年の人が、冬山で下山するルートが見つからなくなると、どのような行動をするだろうか。御池山頂から下山すると仮定すると、全く方向がわからなくなれば、北西と南西に向かうとテーブルランドへ迷い込むことになる。もちろんテーブルランド全域は捜索済だ。台地の縁からの滑落も考えられるが、当日の天候は冬型だったとはいえ、視界は最低でも数十mはあったと思う。散策で縁を回れば覗き込むこともあるだろうが、下山を考えているときに、縁から降りようとは思わない。ただし、北東面はなんとか降りられる傾斜なので、今後は捜索エリアに入れてもいいだろう。この斜面は、木和田からテーブルランドを目指すときは、バリエーションでよく使われているが、道に迷ったとはいえ初心者がこれを下るとは考えにくいが、今週末は捜索が予定されている。また、テーブルランドからゴロ谷に入ったことも考えられるが、ここも当然、真の谷同様、不明直後の13日に捜索が行われ、降りて行ったトレース跡などの痕跡は認められなかったようだ。
もし方向がある程度わかっていたら、これまでに実績のある鈴北岳経由で鞍掛峠を目指すか、コグルミ谷方面に向かうはずだ。鈴北へ向かった場合を想定し、丸山から鈴北にかけては、26日にローラ作戦が実施されている。それでは鈴北方面かということになる。丸山東面の傾斜は比較的緩やかだが、人一人を隠す谷はいくつかあるし、全部が捜索済ではない。この辺りは今週、捜索することになりそうだ。
 台地上にいないとなると今度考えるのは、どこで県境稜線を越えたか、また、県境稜線に出て、どこまで藤原方面に戻ってきたか。タテ谷に迷い込んだ場合、危険個所はやはりタテ谷上部のトラバースとなる。コグルミ谷は捜索しつくされている。穴に落ちてしまったことも考えられるが。コグルミ谷で未捜索の部分は、左岸尾根斜面だ。この斜面は、かなり傾斜がきつく、人を隠し隠しそうな谷がいくつかある。この辺りは今週、捜索することになりそるだろう。
 次に、県境稜線を藤原方面に歩いて、途中で道迷いになることがあるか?これは昨日、自分がたどったルートだ。視界不良で一時的に迷い込むことはあっても、避難小屋を確認せずに、そのまま尾根を下り続けることは考えにくい。藤原岳8合目の目撃情報の真偽はあるが、藤原岳登山道に関しては捜索しつくされている。雪解けを待つか。

26日の捜索の前に

Nさんの山の履歴から推測すると、経験のあるルートからの下山を目指したものと思われる。コグルミ谷は危険なので除外しただろう。だとすると、来た道を戻るか、実績のある鞍掛峠へ下るかの二者択一になる。バリエーションの経験がないので、どうしても登山道に頼ることになる。もし迷ってバリエーションに入った場合、深入りをしないだろう。しかし、登山道が見つからないという想定外の事態になったとき、テント装備を持っている山経験3年の単独者はどうするか。風雪に耐えられるゴーグルは持っているが、早く安全地帯まで下りたいと思うだろう。しかし登山道がわからない。この葛藤をどう処理したか。遭難してもおかしくない状況に追い込まれていたのかもしれない。

○来た道を戻る可能性
当日の天候がキーポイントになるだろう。2月12日(日)午前中の天候は冬型になり吹雪いていた。どの程度の視界があったかわからないが、遠くまでは見通せなかったと思う。降雪があったので、前日のトレースは消えていたと思われる。視界が悪くなると、コンパスと地形図を見なければ、下る方向が皆目検討がつかないだろう。そのような条件で、丸山を下り、真の谷を渡って、カタクリ峠まで行けたか疑問だ。カタクリ峠まで行くことができれば、後は県境稜線をたどればいい。下山の12日に藤原岳8合目で目撃情報があるが、もしそうなら、8合目以下で遭難するだろうか。それは考えにくい。
仮にもし、カタクリ峠までたどり着けたら、風雪の激しい県境稜線は避けるかもしれない。コグルミ谷を使えば最短距離で国道に降りられる。しかし、カタクリ峠で、下山に使うコグルミ谷のコースがわからなければP801尾根に入り込んだ可能性がある。この尾根は下部で枝分かれし、険悪な犬帰り谷へと続いている。犬帰り谷は前回、本流を捜索したが、枝谷は見ていない。迷い込んだ可能性はある。

○実績のある鞍掛峠経由で下山する。
しかしこの場合の問題は、御池山頂から鈴北岳までのルートだ。夏に一度歩いているようだが、地形はわからないと思う。視界が悪いので、コンパスと地形図は必ず必要だ。方角をコンパスで確認し、地形を読みながら進まないと駄目だ。うまく鈴北岳までたどり着ければ、下山はできると思うが。
途中でタテ谷に入ってしまったことも考えられる。県境稜線からタテ谷に落ちる谷はほとんどが捜索済みだそうだが、手がかりは得られていない。

○テーブルランドへ入り込んだか
この場合、野営地点が問題になる。どこで野営したかだ。朝6時半に携帯で連絡を入れているので、稜線にいたことは確かだ。私も何度か、冬の御池では野営をしているが、風雪が激しいと、風裏に入らないと厳しい。昨年の野営は、丸山にあがれず、県境稜線で野営した。話はそれたが、目撃情報から推測すると、丸山到着は15時だから、テーブルランドまで足をのばしている時間的ゆとりはなかったと思う。なので、朝の出発は丸山周辺にいたと推測できる。そして朝起きたら吹雪だったので、テーブルランドへは行かずそのまま下山したと思われ。朝起きたと書いたが、風が強くなればテントがばたばたとして早くから目が覚めただろう。食事をしてテントを撤収。撤収も吹雪いていると大変な作業になり、当然手はかじかんでくる、地形図を出してコンパスで方向を確認することもできなかったと思う。それ以前に、バリエーションの経験がないので、コンパスと地図で下る方向を割り出すこともできない。登山道に頼るしかないので、登山道を探し歩いたと思われる。

他にも、テーブルランドを北へ向かったとも考えら得るし、推測すればきりがない。とにかく、未捜索の部分で危険なところからつぶしていくしかない。とりあえず明日は、先週に引き続き、犬帰し谷の枝を中心に捜索する予定だ。

タテ谷は、早春の花の時期に、鈴北への登路として使われることはあるが、登山者はそれほど多くはない。ルートはコグルミ谷から尾根を乗り越し、ガレた涸谷であるタテ谷遡行を回避するようになっている。尾根を乗り越しルートがタテ谷に合流するあたりは急な斜面のトラバースがあり、足を滑らせるとタテ谷に吸い込まれる。
丸山から鞍掛峠方面への下山を目指した場合、県境稜線のP1148から北(タテ谷方面)に降りている尾根に迷い込んだ可能性はある。
このP1148から鈴北岳前の稜線からタテ谷に降りる尾根は何本か捜索が行われているが、
P1148からタテ谷とコグルミ谷までの北東斜面は未捜索である。急斜面の中にいくつかの谷がある地形で、気温が上がり雪が溶けてしまうと捜索が困難になる。雪のあるうちに捜索したい部分だ。

最近は鈴鹿の山の遭難が多い

昨年あたりから鈴鹿山系での遭難が多くなってきた。
先月はたしか、岩峰で滑落事故があったばかり。
そして昨日は、御池岳で不明になっている。
土曜日に、藤原から入山し御池でテント泊だったのだろう。
二日目の朝、下山するの連絡を最後に不明になっている。
土日の天候だが、天気予報では晴れだったが、山間部はそれほど良くはなかった。
ホワイトアウトになったかどうかはわからない。
厳冬期は毎年、御池岳でテント泊をしているが、それなりの装備をしていれば、とくに問題はないだろう。しかし下山時に方向を誤れば、意図せぬ方向に降りてしまう。
この時期は雪も少し締まってきているが、それでも谷に入り込むといけない。
早く見つかるといいが。

神々の山嶺

読みたいと思い、本を買っておいておいた山岳小説がある。この三連休は風邪をひき中日以外は家に沈滞したので、この機会に一気に読んだ。500ページ2冊だからちょっとした読み応えがあったが、一気に読みたくなるほどおもしろかった。
いろいろと思うことを書きたいが、しばらく熟成させてからだ。
著者の「夢枕獏」氏の後書きを引用すると
「十歳の時から山に登って体内に溜め込んできたものが、全部出てしまった。
それも、正面から、たたきつけるようにまっとうな山の話を書いた。変化球の山の話ではない。
直球。力一杯根限りのストレート。
もう山の話は二度と書けないだろう。
これが、最初の最後だ。
・・・・・
どうだまいったか」
世界最高峰のエベレストを舞台に、天才クライマーやシェルパが登場する。その意味では、どうだまいったか、なのかもしれない。

松浦武四郎の企画展

武四郎の晩年を紹介した企画展が松浦武四郎記念館で開かれているので、出かけてみた。やはり興味があるのは、晩年に3度の登山をした大台ヶ原の日記だ。刊本3冊は大台紀行集に納められている。この企画展の目玉は、68歳で初めて大台ヶ原に登った武四郎が描いた「大台山頂眺望図」だ。掛け軸になっていて、予想以上の大きさに驚いた。これに対して、刊本の方は予想以上に小さかった。じっくりと現在の地名や山名と比べて見たい。