2010年3月21日22日 日出ガ岳(大台ヶ原)尾鷲道 |
■日出ケ岳(大台ヶ原山)2010年3月21日ー22日 No.536 uttyさん、M田くん、rinちゃん、隊長 | ページ1(21日) | ページ2(22日) | ページ3(22日) | 大台ケ原遊歩道 ここからはおなじみの風景が続くので、説明は入らないだろう。正木峠の白骨林を乗り越えて山頂を目指した。 日出ケ岳 尾鷲辻から50分で山頂に到着した。二日目は黄砂も収まり、展望台に登ると360度のパノラマが楽しめた。台高山脈、大峰山脈が一望できる。遠くに見える流麗な円錐形をした高見山から台高山脈が始まる。稜線を目で追居ながら山名を同定するのもおもしろい。大峰山脈は横一列に並んでいるので、山名も同定しやすい。胸の空く展望をしばらく楽しみ、展望台の下で風を避けながら簡単な昼食とした。日出ケ岳1695.06mには一等三角点の標石が埋められている。埋評は明治28年7月21日となっている。点名は「大台ヶ原山」で、所在地が「三重県多気郡宮川村大字南大杉字堂倉」となっている。まさしく三重県の山である。 この三角点碑は、もぐらもちさんの解説によると、「三角点碑、後ろが明治期に建てられた「井場亀市郎」名による山頂碑です。この山頂碑は松浦武四郎が出費して作った(と思われる)一連の山頂碑の一つです。」 帰路は、途中でテントを撤収し、一気に出発点まで戻らなければならないので、山頂であまりのんびりとできなかった。30分ほどの滞在で山頂を後にして、堂倉山を経由して帰ることにした。 堂倉山は、ちょっとしたピークで展望があるだろうと予想していたが、広々とした樹林で、展望は得られなかった。つぼみを持ったホンシャクナゲが多く、春が楽しみだ。他には電波中継施設があり、景観を損ねていた。特に決まったコースはないが、山頂からは南斜面を下り登山道に復帰した。 事故報告の資料が検索できることをzippさんから助言いただいた。調べてみると、1980年1月2日墜落には違いなかったが、墜落地点は別の所だった。おそらくヘリで機体を回収するとき、部品を落としていったのだろうか。これはあくまでも私的見解に過ぎないが。 野営地に戻るとすでに13時を過ぎていた。この時間にここまで戻れたのでひと安心だ。残った食材で昼食をとり、テントを撤収し、野営地を14時に出発した。日没までに出発点に戻ろうとすると、もうあまり時間にゆとりがない。ルートの状況により時間短縮を図れるかどうかわからないが、木組峠から東に張り出す尾根をたどり、栃山林道終点に降りる計画を立てた。国土地理院の地形図には登山道が途中まで記されている。尾根筋はテープもあり歩きやすかった。途中から尾根を離れて植林帯の境を下っていく。獣よけネットがまだ残っていた。順調に下ったが、やはり尾根末端で無理があった。しかし何と林道に降り立つことが出来た。時計を見るとすでに15時45分だが、これから先は時間を計算できるのでひと安心だ。二日目の行程が長かったので疲れ気味だ。とぼとぼと歩いて17時過ぎに駐車地に到着した。 完 |
2010年3月21日22日 Copyright (C) 2010 k.kanamaru. All Rights Reserved. home |