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■大杉渓谷&日出ケ岳(大台ヶ原) 2019年11月1日2日 No.1253
紅葉に合わせて大杉谷から日出ケ岳をめざした〜    PhotoGallery
【行程】   
11月1日 鈴鹿駅8:46〜三瀬谷10:30〜第三発電所登山口12:10〜大日煤`千尋滝13:55〜シシ淵14:40〜ニコニコ滝15:20〜平等15:40〜桃の木山の家16:15
11月2日 桃の木山の家6:05〜七ツ釜滝6:40〜光滝7:50〜隠滝8:05〜堂倉滝8:40〜堂倉避難小屋〜日出ケ岳12:25〜13:20ビジターセンター14:30〜大和上市16:30〜橿原神宮〜大和八木18:05〜千代崎駅19:20

【メンバー】いそがいさん、とっちゃん、つくだにさん、ゆうじ、隊長

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Summary 紅葉の季節の風景写真を撮りに、大杉渓谷から日出ケ岳に登った。大台ヶ原の最高峰日出ケ岳は百名山に名を連ねるが、ドライブウェイで容易に登ることができ、登山家にとっては魅力が薄い。しかし、大杉谷から入山するルートは本格的な登山が楽しめる。大杉谷は日本三大渓谷の一つで、全国的にも知名度が高く、美渓と滝を見ながら渓谷歩きが楽しめる。


シシ淵

アプローチが便利になったとはいえ、マイカーを使わないとそれなりに時間がかかり、自宅を出て登山口に至るまでに4時間を要した。しかし、昭和初期になると話は別次元だ。「近畿の山と谷」という、昭和初期に書かれたガイド本がある。もちろん絶版になっているが、国立国会図書館のHPでダウンロードできる。ここに宮川遡行の記録(昭和4年宇野氏パーティー)がある。今回はこれを引用しながらまとめることにした。それから、っわがやに古い写真が見つかった。親父のシシ淵の写真だ。多分20代の頃のようなので、今から60年前になる。多分昭和20年代の写真だと思われる。

三瀬谷〜第三発電所登山口 予約した登山バスに乗る。混雑を避けて土日を外したが、ほぼ満席になった。予定通り12時過ぎに登山口に到着した。東屋で昼食を済ませ出発した。標高は289mで紅葉にはまだ早いが、コバルトブルーの清流に惹かれた。

昭和四年当時では、
第1日目 三瀬谷8:06滝谷9:18大杉谷村役場11:30大杉小学校(宿泊)14:00【引用】
大杉小学校は現在のNPO法人「大杉谷自然学校」、小学校に泊めさせてもらっているところが興味深い

大杉谷からする大台登山路を利用して登る人は一年間平均六七十人位あるさうだ。それも近隣の人が大部分である。御料林(宮内大臣の管轄下、皇室財産林)の二尺及至三尺(60cmないし90cm)の巡視路と有り余る材木で作られた立派な人夫小屋=番人及び登山の準備はない=は期待以上に完全なものである。道は大杉谷村から父ケ谷の出合少し上流まで宮川の左岸を、それ以後はずっと右岸で、奥定神社の少し手前から、本流より百五十乃至二百メートル上手をからみ、千尋瀧の落口を見て、千尋小屋から嘉茂助谷の小屋、花抜峠に出てそれより大體陸測(大日本帝国陸地測量部、現在の国土地理院)の地図通りで大台に達する。【引用】

本流には渓流美が集中されて居るが今の處道らしきものが殆ど無い。然し大軌電車(大阪電気軌道株式会社=近畿日本鉄道)のエキスペンション(拡張)も、目的は登山者を吸収するにあるのだから、近く歩道を作られると思ふ。
伊勢阿曽浦を走る列車から、朝霧を通して後来往を仰ぐ。村の人々がかかる大渓谷を持ちながら尚、谷にも山にも瀑布にも全く無関心なのには驚く程である。
父ケ谷の落口で右岸に渡り、裸山の中腹をへつる、桑木谷から道は小さく奥定神社跡からは殆ど廃道となり、僅かに踏跡を残すに過ぎない。又ケ瀧以上は河原伝いに幾度か浅い渡渉。この辺りでは、この奥に魔の大杉谷のあることすら想像もつい無い程閑かなものである。地獄谷、かさぎ谷、共に転石のガラ谷。
【引用】

登山口を入ると直ぐに岩壁道となる。岩場が多く、ときどき滑落事故が起こるルートなのでヘルメット着用した。岸壁道にヤマラッキョウが花を咲かせていた。とすんなりスタートできたが、当時はここまでが大変だ。

二日目 大杉小学校8:00大杉10:00父ケ谷12:20宮木谷13:15桑谷15:20大台登山路16:00奥定神社跡17:00で野営【引用】

*奥定神社跡がよくわからないが多分、大日狽たりだと思われる。ようするにここまでで二日を要している。

 
ヤマラッキョウ   ケイビタン

第3日目 奥定神社跡8:00又ケ滝9:00京良谷12:00水越谷15:00野営(千尋瀧)【引用】

 

予定通り千尋滝を通過。気温はそれほど高くなかったが汗ばんできた。残念ながら紅葉にはまだ少し時期が早いようだ。標高差のあるルートなので、どこかで紅葉が見頃になるはずだ。ちなみに、山頂の標高は1695mなのですでに終わっている。

千尋瀧はこの辺りで最長の瀑布で、千尋谷の豊富な水量を二百mの落差で本流に落ち込み、登山道からは上部の三分の一位しか遠望されない。この滝音を耳にする頃から谷は我に返って両岸を削るがごとくに対峙した峡谷となる。いよいよ本格的な峡谷だ。七ツ釜までは断層線を深くえぐっているのだから右岸からの支流には皆大きな瀧となって落下する懸谷だ。丸淵−口のシシ淵ーそれから右岸を高く越してニコニコ瀧、淵又淵の難場である。丸淵付近の岩壁に、水から一丈(約3m)位上部の増水線が描かれていた。もし増水したかならばーーーと想像したら身震いする。こんな、廊下か箱の中のような処で、天候が悪化したらそれこそ絶体絶命であろう。【引用】

 
千尋滝


千尋滝 

遡行記録によると、シシ淵の手前に「丸淵」があるらいしが、どこだかよくわからない。時間から推測すると千尋滝とシシ淵の中間地点となる。次回によく見てみようと思う。それに「シシ淵」を「口のシシ淵」と記されている。というのは、屏風岩の上手に「奥のシシ淵」というところがあるらしい。シシ淵の名の由来を考えると、シシの形をした岩とも思われるが、「口のシシ淵」と「奥のシシ淵」があることを考えると、両岸が切りたっていて猪も通えないので、淵を渡るからだと想像できる。

第4日目 千尋滝8:00丸淵9:00口のシシ淵10:00ニコニコ滝11:00屏風岩15:00不動の岩屋(桃の木小屋近く)野営【引用】

家に古い写真が残っている。そろらく、昭和二十年代だから約70年前の写真だ。これ以外に大杉谷の写真は見当たらないが、服装などから推測し、桃の木小屋が昭和15年開業していることを考えると、登山道はある程度整備され、桃の木小屋で宿泊したことが想像できる。足下を見ると地下足袋だ。


左が私の親父 シシ淵にて

シシ淵手前の岩場は水に濡れ、滑りやすかった。ドカンと大きな音がしたので振り返ると、登山者1人滑落していた。3mほどの処だったし、ヘルメットを着用していたの事なきをえたが、落差があると非常に危険だ。ルート全般に、岸壁には頑丈な鎖が設置されているが、足を滑らせると滑落に繋がるので気をつけたい。岩稜ルートを思っていいのでやはりヘルメットは必要だ。

 

 
シシ淵

  


シシ淵 

 
ダイモンジソウ

  


ニコニコ滝

ニコニコ瀧は嘉茂助谷の御料林道を下ると六段から成って居ることが良く判る。上部から数えて一、二、三段の瀧は五米から十米あまり、それぞれ大きな壺を持ち、第四は三十個目、第五が最ももの凄い。瀧の少し上手に高さ百五十米幅五百米もあろう屏風岩が三曲になって屹立する。見上げると威圧に後ろへ倒れそうな気のするほど素晴らしいものである。この辺り渓幅約三十米に狭められ激流。またこの岩の上手に続いて「奥のシシ淵」がある。大杉−父ケ谷−不動瀧−嘉茂助谷に通じる御料林道は右岸にある。これに上って中腹を伝い、不動谷出合に至る。この出合から上流数丁に大きな岩小屋があり、立派な鉄線で架した桃の木橋は出合にあった。野営するに州一つない谷に、岩小屋は全く天恵的な存在だ。十数人収容しても尚余りあるづどうたるものである。【引用】

ここで、瀧の少し上手に高さ百五十米幅五百米もあろう屏風岩が三曲になって屹立する」とあるが、これは、前後の文章から判断すると現在の「平等煤vと思われる。なぜ「平等」というか、高さが同じという意味らしい。


平等煤@


平等白ン橋


桃の木山の家

雰囲気があり、設備も良い山小屋だ。もう何度も泊まっているが、夕食メニューは、ミックスフライとカツカレーの2種類があるようだ。米も美味しくてお代わりしたくなる。この日は金曜日だったので宿泊は60人、明日の土曜日は150人だそうだ。

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Olympus E-M1 12-100mm