最新情報  レポート  登山  バリエーション  ブログ  プロフィール

■藤原岳(鈴鹿)
〜小又谷から茨川を経由して西尾根で山頂へ〜

レポート No.951
日時:2016年4月2
参加者:じんじんさん、いそがいさ、隊長、
うさぎ

小又谷駐車場(7:30)〜ノタノ坂分岐(7:42)〜峠(8:15)〜(8:50)茨川(9:10)〜9:50西尾根取付(10:00)〜(11:35)藤原岳(12:00)〜多志田山(12:35)〜迷い尾根分岐(13:30)〜(14:00)茨川(14:15)〜峠(15:15)〜駐車地(15:45) 累積票苦1480m 歩行距離13km

| ページ1 | ページ2 |


プロローグ 花の時期はやはり、鈴鹿北部に集中してしまう。今回も花を求めて、新しい発見はないかと茨川から西尾根で山頂を目指すことにした。春の花の花期は短い。樹木の若葉が出るまでに花を咲かせ種と作らないと子孫が残せない。又来週だなと思っていたら花の時期は終わってしまう。しかし花だけでは面白くないので、バリエーションを組み入れ、満足度を上げることにした。

アプローチ 茨川廃村に入るには、悪路の茨川林道で行けばいいが、安全策をとって今回は、御池林道の小又谷から入ることに下した。駐車場に車はなかったが、我々が到着するともう一台の車が入ってきた。どうも魚屋さんらしい。

ノタノ坂 準備を済ませ、小又谷の林道を歩き、15分ほどでノタノ坂分岐に到着した。数年前に歩いているがしれきりだ。鉄塔巡視路を辿るルートもあるが、本来のルートで峠に立った。約30分。峠から尾根を辿っていくと土倉岳に至る。ここから茨川までは下り。道型もしっかりとしていて、昔は生活道路として使われていたのだろう。尾根から山腹にかけて美しい二次林が続いていた。

   
小又谷            ノタノ坂分岐

   
ノタノ坂へ             峠

   
峠から茨川へ下る         きれいな二次林

廃村茨川 峠から下ること30分で廃村茨川に到着した。最初に、青い屋根の小屋が目につく。古い民家を大学のワンゲル部が小屋として使っているらしいが、現役小屋なのだろうか。

   
茨川の民家が登山基地として使われている

   

   

河原に腰を下ろして小休止していたら、同じルートを目指す2人組がやってきた。茨側林道を車で入ってきたらしい。道路の状況を尋ねると、通行は可能だが、水たまりがいっぱいあって車が泥だらけになったそうだ行き先は同じのようだ。車でここまで入ると、行程的には往復2時間の時間短縮になる。

   
神社            茨川を遡る

先を急ぐ登山でもないので廃村周辺を探索してみた。苔むした石積みで、民家の個数が推測できそうだ。高校や大学のWVが廃屋を修理しながら使っているようなので、建物は残っているが、放置したままだったら朽ちていただろう。この村に関しては、「鈴鹿樹林の回廊」の黒田氏が、サイトに詳しい資料を掲載しているので大変参考になる。黒田氏は私と同じガイドブック「三重県の山」(山と渓谷社)の著者でもある。フクジュソウは終盤でキクザキイチゲが咲き始めていた。

   
蛇谷との合流地点、ここから西尾根に取り付く

茨川 さて、廃村からは茨川を遡行する。水量が少ないので登山靴でも大丈夫だ。林業者が杉か桧を伐採しているようで、チェーンソーが唸っていた。茨川はくねくねと蛇行して40分歩くと蛇谷分岐に到着した。前回来たのは2011年で県境稜線から下ってきた。その時書いたレポートを引用してみる。

茨川銀山 蛇谷は昔、茨川銀山のあったところで今も、谷のあちこちにスラグが転がっている。スラグは鉱石を溶融し、金属を取り出した残りかすのようなもので、高山があったことを物語っている。人の営みの痕跡に歴史を感じたので、「鈴鹿の山と谷2」で蛇谷を調べてみると、10行ほどの記述があった。引用してみる。

「茨川高山のあったところで、最盛期には石垣が類々と築かれ、遠くからでも活気が伝わってきたという。茨川に茶屋ができたのもおそらく銀山によるものと見られるが、衰退した後は旅人や商人が利用したがもはや往年のものではなかったという。蛇谷の名称は鉱山に関連した名称で、長蛇のような谷という意味も含まれるようだが、本質は金属の冷たい光沢が蛇の鱗をあらわしているといわれている。鈴鹿山脈は古代から金属に縁の深い山地であるが、治田から茨川のあたりは特に規模の大きな採鉱がなされた記録がある。蛇谷は遡行の対象としては価値は低いが、なんといっても歴史的な意味は深い」  また、「近江鈴鹿の鉱山の歴史」では、蛇谷鉱山について8ページを割いている。鉱山に何する文献があまりなく、江戸初期と時代も古いので実態は明らかではないようだ。もっと古い文献「江源武鑑(こうげんぶかん)近江の戦国大名・ 六角氏に関する日次記形式の歴史書。」では、「江東君カ畠ヨリ白銀ヲ掘出ス。今日坂田兵内左衛門ヨリ言上ス」茨川での銀の発見を伝えたものを推測される。

一方、茨川村の筒井氏の著書によると、「むかし、蛇谷に銀山があって当時日本の銀生産の七割も出したぐらいに栄え、家もかなりあって蛇谷千軒と呼ばれた」 確かに スラグや施設の石積は見かけたが、銀生産の七割とか、蛇谷千軒は疑問に思われる。明治期においても試掘願いが出され、一攫千金を夢見て、鉱業権者も変わっていったようだが、良い結果は出なかったようだ。 地質図を見ると、茨川蛇谷鉱山と記されていて、二畳紀から三畳紀の泥岩やチャートの地層に玄武岩質溶岩が貫入してきているところだ。年代的には2億年くらい前の地層だろう。チャートや泥岩は蛇谷の河原にいくらでも転がっている。

藤原岳西尾根 さて西尾根に取り付く。バリエーションと思いきや、目印テープもあり踏み跡もある。前回これを下ったのはいつだったか、レポートを探してみるとありました。2002年5月12日でした。このときは734の尾根を登り藤原岳山頂から西尾根を降りてました。14年も前だったか。

   
西尾根を登る        県境稜線、多志田山のピーク

茨川から藤原岳山頂まで標高差が500mほどあり、約1時間半で山頂に到着した。石灰岩が出てくると山頂は近い。セツブンソウがたくさん咲いていた。山頂がガスで展望がきかなかった。風があって肌寒かった。

   
もうすぐ山頂        山頂付近のカレンフェルト

この日は天候もあまり良くないので登山者も少なかった。食事を済ませると身体が冷え始めたので山頂を後にした。県境稜線を治田峠に向けて下る。

   
藤原岳山頂              銚子岳

さてどこから降りるか、治田峠からか?蛇谷か?迷い尾根か迷ったが、天気も下り坂なので最短距離の迷い尾根で下ることにした。この尾根もテープがあった。まずまず歩きやすい尾根で30分で廃村まで下れた。やっと村までもどったが、まだこれからひと山越えないと帰れない。

   
茨川の神社に立ち寄る

   
右:小又谷まで戻ってきました

ノタノ坂へのルートを少し間違えてバリエーションになってしまい、山越えに1時間30分を要してしまった。


GPS不調のためログが切れています。 国土地理院


| ページ1 | ページ2 |

2016-4-2 Copyright (C) 2016 k.kanamaru. All Rights Reserved.