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■龍辻(尾鷲)
〜尾鷲道で古和谷から龍辻までピストン〜

レポート No.926
日時:2015年12月12
参加者 sskさん、隊長、うさぎ

クチスポダム下の駐車地(8:20)〜古和谷林道〜大台ケ原尾鷲道登山口550m(10:45)〜左股谷渡渉点750m(11:50)〜支稜線鞍部1050m(12:50)〜栃山林道分岐1150m(13:10)〜又口辻〜(13:45)龍ノ辻1260m(14:05)〜栃山林道分岐(14:30)〜支稜線鞍部(14:40)〜渡渉点(15:20)〜登山口(16:10)〜駐車地(17:30) 歩行距離22km 標高差1800m

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左股谷渡渉〜龍辻 谷を渡りルートは左岸に移った。しばらくは左岸を緩やかに登っていく。入山者は少ないようで、枯れ枝や落ち葉が踏み跡を隠しているが、しっかりとした道だ。登るにつれ徐々に谷が浅くなっていく。大きな杉を一本見た少し先に「山賊小屋跡」の猫の額ほどの平地があった。いかがわしい名前だが、営林小屋の俗称ではないか。しかし、重荷を背負って尾鷲から奈良側の川上村に1日で抜けるのはかなりの重労働だったはず。また、お題が腹まで行くとなると10時間以上の行程になるので、途中の山小屋はありがたかったはず。


ここにも大杉があった。

山賊小屋跡 谷のすぐ横に平地あり、ここに小屋があったらしい。廃屋の残骸が少し残っていた。

   
山賊小屋跡

   
左股谷の上部           山腹道への分岐

山腹道〜稜線の鞍部 小屋跡を過ぎてしばらく進むと谷が浅くなり稜線が見通せるところに出た。ここから山腹道になるようで、道標が導いている。ここからが「胸突き坂」と呼ばれる山腹道で、ジグザグで一気に高度を稼いでいる。登り始めると杉の巨木が目についた。この山域、ところどころで巨木が見られるのは嬉しい。形が悪いので残ったと思われる。

    
胸突き坂           鞍部

支稜線の鞍部 標高差約300mの登りで、鞍部に登り着いた。時計を見ると12時50分になっていた。ここで一休み。折り返しの時間が14時を過ぎないように、と思っていたので、もうあまり時間がない。休憩もそこそこに先を急ぐことにした。

    
鞍部からは緩やかな登り         栃山林道分岐

鞍部から緩やかの登り20分で見覚えのある栃山林道分岐に到着した。ここを左折し少し進むとまた又愚口辻。ルートは右だが、そのまままっすぐ進み龍辻を目指した。

   
又口辻

龍辻1260m 又口辻からは緩やかの登りで、シデ、ミズナラ、ブナなど葉を落とし明るくなった二次林が美しかった。マブシ嶺や大台ケ原がよく見えていて。山頂が近づくと尾鷲側ぼ展望が開け、尾鷲の町や熊野灘が一望できた。


山頂からは尾鷲市街がよく見える


又口辻から龍辻までの稜線

   
龍辻からの展望


山頂付近のブナ林、青空をバックにブナの白い樹皮が際立つ

こんもりとした山頂で、付近はブナ林になっていた。尾鷲側の展望が開け、腰を下ろして昼食休憩にした。このあたりの様子は、HP「和勢紀三州に跨る」大台ヶ原が詳しい。「紀伊続風土記」にこのあたりの記述があるようで、「木津の西三里半許を龍辻といふ。大臺山の尾筋の南の方に蔓延せる所にして、是を和州界とす。和州北山荘へ往還の峠なり。此峠、尾鷲相賀両荘より大和へ往還の峠なれば、両辻の名ありしに、龍辻の字を用ひて里宇[りう]の音を呼び来りしなるべし。其路最艱險にして、梯を登るが如し。龍辻より西一里許にして出口といふ所人家あり。和州北山荘巨勢栃本トチモトの枝郷なり。木津より出口まで中間五里に近くして絶えて人家なし。僻遠の地といふべし。」。つまり、大台ケ原から南に伸びる稜線上にあって、大和国と紀伊国を往来する峠で、梯子を上り下りするくらいの難路だったようだ。


国土地理院HPから引用

「天保国絵図」は国立国会図書館のページで閲覧できる。この絵図は江戸幕府により1838年に作成されたもので、大和国と紀伊国の両方に「龍辻」の記述はある。地名を現在の地形図におとすと上図のようになると思うが。「辻」は十字路のことなので、縦走路と交わるところが龍辻だろう。また、大和国絵図を見ると尾根に沿って出口に降りているように見える。一度トレースしてみたいと思った。

   
山頂は展望の良いところ           ブナ林が綺麗だった

   
ステミングしたくなるブナ、クライマーの癖

下山 時計を見ると14時を過ぎてしまった。さっさと降りないと日が暮れる。道がしっかりとしているので順調に下ってトロッコ道に入ることができた。

   
又口辻               栃山林道分岐

   
左股谷渡渉点        トロッコ道まで降りてきた  

   
苔むした岩と杉の巨木  危険箇所桟橋が流されていて、岩が滑る

危険箇所は上段のトロッコ道で桟橋が流されたところ。固定ロープはあるが、岩場は滑るので要注意。滑ってしまうと谷底までいってしまいそうだ。

    

     
左:最初のトロッコ道から上のトロッコ道へ上がる 右:レール

索道や軌道は木材の搬出のためだが、林業の歴史を調べてみると、1910年〜1950年に使われていたののようだ。古和谷林道が1928年に作られているので、索道や軌道で林道まで運んだのだろう。搬出技術が確立されると、奥地の天然林から、モミ、ツガ、トガサワラが切り出されたようだ。切り出された後は植林され杉・檜林になった。

     
桟橋が整備されている

16時10分に登山口に到着した。やれやれ、ここまでくるとヘッデンでも歩けるので安心だ。延々と6キロの林道歩きが残っているが。

   

休憩もなしにひたすら1時間20分歩いてやっと林道ゲートに到着した。最後はヘッデンのお世話になった。この林道歩きがなければ、龍辻、細又龍辻、中嶺など散策に時間が使えるのだが。

尾鷲道と森林軌道古和谷線
尾鷲道が地元有志の方中心に整備され歩けるようになってきた。国道42号線の相賀から銚子川に沿って木津まで入り川が分岐して、そこからクチスポダムまで入る。矢所というところで古和谷林道が始まる。現在は林道になっていて終点まで6キロだが、ゲートがあって一般車両は入れないようになっている。この林道だが大正時代は木馬道で、それが昭和初期に軌道になり材木の搬出が行われていたようだ。林道終点からは道幅が狭くなり軌道になっている。

三重県の森林鉄道 〜知られざる東紀州の鉄道網〜
という書籍を購入したので、関係箇所を引用してみる。

古和谷線は木馬道の林道が大正時代からあった。軌道化された後も昭和16年まで機関車がなく。下りは荷車により走行、登りは牛に空トロッコを曳かせていた。牛の手配が大変で、突然来ない日は人力で曳くしかなかった。牛が来ても古和谷は急斜面で谷が深く、木橋が多かったので牛が怖がって渡らない・・・・昭和16年に機関車を導入したが、古和谷線は最初から機関車によるトロッコ牽引が無理なほどの急勾配だった。・・・・・・

林野庁の公文書昭和7年度
古和谷林道 軌道 巾1.8m 延長5982m 車道2.7m 336m
昭和2年 古和谷軌道38258円 機関車3650円(相賀線のもの)

山は招く 大台ヶ原山に登る  大阪朝日新聞 三重版昭和9年6月27日
・・・・・
書家の緑にけぶる山路をバスは上っていった。ここは尾鷲町から矢所まで約1里、登山用バスが通っている。海抜1000尺(303m)の山の上で車を捨て銚子川のみなかみ、清流に沿って架せられている古和谷官林所設置のトロ道伝いに登って行った。山はいよいよ険しく林は暗い、鬱林の陰の下、白い卯木の花が可愛く咲き誇っている。およそ1里半(6km)、つま先上がりの軌道は終えた。大台登山コースの最難?古和谷峠の麓あたり、屏風を立てたような参道に釘付けの丸木ハシゴが千鳥形に縫っている.谷から谷、風雅がな吊り橋様の丸木橋が架かっている。

・・・・・・・

ということで、昭和初期には登山用バスがクチスポダムの所まで通っていたのには驚いた。森林軌道が尾鷲道になっていたこともわかる。新聞記事から大台ヶ原山への登山と大台教会への巡礼が盛んだったことがうかがえる。



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