■八鬼山(尾鷲)【日時】2017年3月18日 【レポート番号】1024 |
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プロローグ ルートに変更はないが、何度歩いても味わい深い道だ。伊勢神宮から熊野三山を目指す旅人が越えていった山だ。熊野詣では、きっと一生に一度の旅だったのかもしれない。何百年も歩き継がれ、現存するからこそ世界遺産だ。 旅人の日記が紹介されている、 「八鬼山越え西国第一の難場を登る。登り五拾丁、下り三十八丁、聞きしに勝る難場なり。石ばかりの上を歩行する・・・誠に難渋なる山坂なり」 熊野古道センターに車を置き出発。駐車場は登山口にもあるが、大曽根駅から登山口までの中間地点にあるので利用させてもらった。 古道センターから春を探しながら登山口へ向かった。道ばたには蓮華、山の土手にはヒメエンゴサクやマルミノウルシが出ていた。 登山口に到着すると数人の登山者が出発の準備をしていた。熊野古道は広く知られているので他府県のナンバーもある。今回は3年ぶりの入山で、登山口付近の空き地に真新しい太陽光発電の設備ができていた。ゼロ金利の時代で、最近は太陽光発電への投資が増えてきているようだ。 行き倒れ巡礼供養碑 このルートは登山道と違い、熊野古道なので石畳が随所に残り、巡礼碑やら一里塚など、見所が多く登山者を飽きさせない。 籠立場 紀州藩主や巡見使が街道を通行するとき乗っている籠を休めたところだそうだ。桧の大木だある。我々もザックを置いてベンチに腰掛けて小休止。 籠立場を過ぎると林道を横切る。徐々に山深くなり、石畳は続くが古道というより、登山道の色が濃くなってくる。所々で見かける町石の地蔵が心を和ませてくれる。 旅人の日記に、 「八鬼山越え西国第一の難場を登る。登り五拾丁、下り三十八丁、聞きしに勝る難場なり。石ばかりの上を歩行する・・・誠に難渋なる山坂なり」と書かれていたそうだが、八鬼山越えは登山とみたほうがいいだろう。 桜茶屋一里塚 七曲を登りきると「桜茶屋一里塚」がある。ここで一休み。三十六丁が一里で、信長や秀吉が一里ごとに作らせた塚。距離の目安で、運賃を計算する目安にもなったそうだ。 九鬼峠 一里塚らかひと登りすると九鬼峠に登り着く。尾根の鞍部のようなところで、ここまで登ると傾斜が緩くなってくる。鉄道が通じるまでは、生活道路だったようだ。鈴鹿山系にも近江と伊勢を結ぶ陸路があり、幾つかの峠がある。物流の手段を人の足に頼っていた時代のころから歩き継がれている。鉄道の歴史を見ると三木里まで路線が伸びたのが昭和33年。今から58年前だ。半世紀以上前だ。熊野古道の長い歴史戸比べるとごく最近ということになる。
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2017-3-13 Copyright (C) 2017 k.kanamaru. All Rights Reserved. |