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■加茂助谷の頭(大台)
〜花抜峠登山口から土倉古道で加茂助谷の頭へ〜

レポート No.929
日時:2015年12月27
参加者:sskさん、Tjさん、隊長、うさぎ

花抜峠登山口(8:55)〜花抜峠(10:25)〜苔平(12:15)〜(12:30)与八高(12:55)〜嘉茂助谷の頭1380.31m (13:00)〜花抜峠(14:40)〜花抜山1037m(15:00)〜千尋峠(15:40)〜花抜峠登山口(16:04)


プロローグ この週末は寒気が入るので予定していた八ヶ岳は諦め、太平洋側の山域を狙った。11月に入り「三重県の山」の登山ルートと山の選定に台高と大台を中心に歩いている。それで今回は、大台林道から加茂助谷の頭を歩いてみることにした。

アプローチ 船津から大台林道に入る。千尋峠のゲートまでは通行できるが、ワゴン車ではちょっと厳しかった。よく使われているようだが段差で車の腹を何度もぶつけた。やはり車高のある車が欲しい。今回の目的は、土倉古道で加茂助谷の頭を踏むこと。過去に何度か計画していたが、機会に恵まれなかった。夏場は難易度の高い岩稜登攀が主になっていて、そのためのクライミングに時間が割かれているが、この時期はなるべく歩きに時間を使うようにしている。大台の山域は雄大で、美しい谷や二次林、木馬道や軌道などの産業遺産に歴史があり、大変興味深く感じられる。

小木森滝 小木森谷に架かる滝で、林道から目を惹いていた。大台の中の滝や西の滝と同じくらいのスケールで、滝マニアではないが、近くで見たいと思った。大台林道はこの小木森谷の左岸を通っている。ダート道だが車のお腹ぶつけながらだが、乗用車でも走ることができそうだ。


小木森滝

花抜峠登山口 車のお腹をぶつけながら、落石を踏まないように、超スロー走行で小一時間林道をのぼりやっと花抜峠登山口に到着し、路肩に車を駐めた。登山口を示す倒れ欠けた古い標柱の横の記に新しい手書きのプレートが下がっていた。谷に降りて対岸に取り付く。調べ通りここから「土倉道」が始まったいるようだ。岩壁を削り石を積んだしっかりとした道で、書籍「三重の森林鉄道」で調べると、以下引用、

   

大杉谷国有林の施業変遷史」には大正中期、第55林斑の伐採時に土倉道の沖見峠から花抜峠までトロッコによる運搬が行われていたことも記録されている。土倉道とは、明治20年代後半に吉野の山林王、土倉庄三郎が解説した紀北町船津(中里)から吉野郡川上村筏場に至る街道で、三重県内は大台ヶ原山付近の大台辻から西谷、堂倉谷(土倉谷)、沖見峠、花抜峠、を経て船津まで続いていた。木材の搬出は堂倉インクラインの少し北側の第55林斑からであるが、このとき沖見峠まで牛車で、沖見峠からトロッコと書かれているが、おそらく沖見峠より先は下り勾配のためトロッコが採用されたと思われる。「三重県の森林鉄道」P211より引用

   
大正中期にはあったようで、しっかりとした道

花抜峠 登山口の標高が約600mで花抜峠が約1000mなので1時間弱で400mを登る緩やかな道だ。加茂助谷の頭から花抜峠までは緩やかな山稜が続くが、そこからが険しい谷になり、山腹を縫うように傾斜をころし巧みにつけられて道に感心させられた。花抜峠は稜線の鞍部になっていて、見通しが良く大変天望がいいところだ。

   

   
軌道を歩く       稜線のブナ

花抜峠からは標高が1000mを越え、稜線ではブナ、ミズナラ、ヒメシャラが見られた。モミの巨木やシロヤシオの老木が所々にあった。また、稜線の南面は開けてところが多く展望が良い。我々は稜線通しで歩いたが、国土地理院の地形図で北側に、稜線に併走するように破線が残っている。これがおそらくトロッコ道なのだろう。

   
尾根の北側には軌道が通っていたようだ  稜線のヒメシャラ

   
左:ブナは大木はないが所々に見られる  右:大きいが異形なので残ったのか?

   

土倉道は嘉茂助谷の頭の南斜面を通っている。道形がはっきりとしていて、揺るや科の谷の地形に沿っている。この斜面の大木はないが、落葉樹林の明るい森で、新緑や紅葉の時期の訪れてみたいところだ。嘉茂助谷の頭を回り込むと苔平に到着。

苔平 ここは苔の辻とか苔平と呼ばれているところで、確かに苔が繁茂していた。ここは堂倉インクラインの作業場があった所で、痕跡を探したが、切られたレールの端くれとボルトが1本あった程度だ。寒風の通り道になっていたので長居は無用、頭へと登っていった。

   
苔平             レールの端くれ

秋の大台山 伊勢新聞大正11年10月21日〜29日連載 引用

「かろうじて土倉谷(堂倉谷)に着したのは午後2時前、午前7時の朝食から山行7時間断食の苦をなめて図らずも登山者の体験苦を喫した。この付近は山との山林王土倉氏経営の伐採区域である。一行が下ってここに至ったとき、突然、天ケ瀬警察署より来た同行者山脇知事の転任報告急使に接した。そして同時に万事休すとばかりに一考は咄嗟に行程を急変し、直ちに大杉谷迂回計画を放棄して更に下山の近道とるべく、再び加毛助谷へと急ぐことになり、土倉谷に架したケーブルインクラインに便乗した。これを前日便乗した大台林業のインクラインと比較すると、更に急勾配で山腹から他の山の峰に架してある。一行は脚下に雲霧徂徠し俯瞰すれば断崖千仞の所を過ぎつつ木材運搬用の丸太道を踏んで加毛助谷についたのはその夕刻であった。そうして一行13人は囲炉裏を切った10畳敷位の山林局の官宅に雑魚寝の夜を送った。(後略翌朝、大杉渓谷巡りを変更して花抜峠から下山)

面白い記事です。まず三重県の山脇知事について調べてみると、山脇春樹知事は第20代の知事で任期は大正8年4月18日〜大正11年10月16日。栃木県知事に転任している。大台にいるときに辞令が出て、大杉谷で下山するところを、早めて、堂倉インクラインを利用したようだ。「加毛助谷」とかかれているおもおもしろい。

与八高 加茂助谷の頭の南峰が与八高というらしい。先ほどの苔平から10分ほど登ったところで、岩包になっていて展望が良かった。大台ヶ原は吹雪いているようで岩に立つの風が強く寒くて居られないので、風裏に入り熊野灘方面を見ながら昼食にした。

   

加茂助谷の頭 与八高から5分で加茂助谷の頭だ。三等三角点が設置されている。点の記を調べると、点名は「嘉茂助」で明治36年7月16日が造票となっていた。順路の説明を見ると、「船津村大字中里ヨリ大台ヶ原道ヲ行ツテ約三里、嘉茂助谷道○○○ 案内人ヲ要す・・・・」と興味深い。

      
与八高             加茂助谷の頭、与八高から

   
加茂助谷の頭への登り       山頂 三等三角点 点名:嘉茂助

   

今日は加茂助谷の頭迄なのでここで引き返すことにした。下山時に方向を間違え、沖見の方に下ってしまし修正する。ロスタイム30分。帰りは軌道跡に沿って歩こうと思ったがはっきりとしなかった。休憩を入れながら1時間40分で花抜き峠に戻った。

       

   

花抜山 帰路は千尋峠を経由したいので、そのまま稜線を辿った。1037ピークには「花抜山」のプレートが架かっていた。下りは急斜面になっていて固定ロープが張られていた。比較的新しい設置だった。ピークから40分で千尋峠に降り立った。トンネルの向こうにはゲートが閉まっていた。車で来る場合、一般車両ははここまでだ。林道を20分下って花抜き峠登山口に戻った。


花抜山からの展望

   
花抜山           山頂にプレート

   
レールの廃物利用?         千尋峠

天望もあり、稜線の二次林も美しく、なかなかいい山歩きが出来る山域だと思う。新緑や紅葉の時期に再訪したいと思った。課題はアプローチの大台林道で乗用車ではちょっと厳しい。最低地上高のあるSUVなら問題ないのだが。


 

2015-12-29 Copyright (C) 2015 k.kanamaru. All Rights Reserved.  home