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■西大台(大台ヶ原)
〜西大台のハイキング〜

レポート No.889
日時:2015年5月31
参加者:sskさん、隊長、うさぎ

大台ヶ原駐車場(7:30)〜松浦武四郎分骨碑(7:50)〜七ツ池湿原跡(9:00)〜開拓跡(9:30)〜大台が原駐車場(11:40)〜ビジターセンター(11:45)〜入之波温泉(13:30)〜鈴鹿(17:00)


プロローグ 二日目も立入認定書がとってあったので、久しぶりに西大台を周回することにした。天気予報では曇りだそうだ、駐車場は朝からガスに包まれていた。

   
朝の駐車場            コミヤマカタバミ

西大台には紀伊半島では少なくなったウラジロモミやブナの原生林が残っている。約9キロの周回コースがあり、入山申請を出して入山することになる。一日の入山者数も50から100人と決められていて、10人以上のグルーブは駄目になっている。巡視員も周回していて、出会った時には許可書を提示しチェックを受けるようになっている。この日は引き返すときに巡視員のチェックがあった。

   
霧に煙る樹林           周回の分岐地点

種子落としで靴底をきれいにしてゲートを入ると周回の分岐がある。折り返し地点の開墾跡まではどちらから周回してもほぼ同じ距離で、周回すると約8km。武四郎の分骨碑を最初に見たかったので右から回る事にした。松浦武四郎は大台ケ原の探索を明治18年19年20年に3年連続3度行っていて山行記を出版している。翌年富士山にも登り70歳で亡くなっている。晩年を大台ケ原の探索に捧げ、遺言により彼の好きであった名古屋谷に分骨された。久しぶりに分骨碑に立ち寄ってみた。初期のものは倒壊したが昭和40年に再建されている。

   

         
松浦武四郎分骨碑

亡くなる年まで山に登り続け山行記を書き続けた松浦武四郎の生き方が自分に重なっている。松浦武四郎は北海道の名付け親としてよく知られているが、それは彼の業績の一部に過ぎず、本質は、冒険家であり、登山家であり、ルポライターであるようだ。人がなかなか行けない所へ行ってみたいという思いが人一倍強かったのだろうか。それは私も同じだ。


ブナの大木

中の谷を過ぎるとブナが目立ってくる。臨床では落ち葉を押し上げて出てきたギンリョウソウがたくさんあった。しばらく進むと七つ池湿原跡を通過する。花はまだ咲かないが、カワチブシ(トリカブト)、バイケイソウ、コミヤマカタバミ、タイミンガサ、ツクバネソウなどが緑の葉を広げ始めている。唯一、ユキザサが花をつけていた。この辺りのはヤマトユキザサというらし。

    
ツクバネソウ            ギンリョウソウ

    
右:トリカブト

    
オオカメノキ              タイミンガサ

      
苔むしたブナ            大台らしい風景

    
ブナの森を行く           七ツ池

    
ユキザサ             ブナ

豊かなブナ林を歩いていると自然と時間が過ぎていく。ガスが晴れて日差しが出てきたようだ。ブナ、オオイタヤメイゲツ、ミズナラの若葉が輝き始めた。

      
少し日差しが               本日の一番ブナ

松浦武四郎さんもこの辺りは踏査したようで、乙酉紀行(松浦武四郎著 佐藤貞夫編集)にこのように記されているので引用してみたい。今から130年前のことである。

大台紀行 松浦武四郎 乙酉紀行 1885年5月17日

教導師と云。一名経ケ峯なり。「此脈は国見岳に続く也(三津河内の隣のピークか?)」。爰にて右のほうに道形あるを認めて下ること三丁斗,笹を分けて下る。右の方深き谷なり。然れどもたしかに何処とも雲霧深きが故知れがたき故,亀市独り経ケ峯にまた上りて道すじを見るに何処にも到処なしと。依て其事を報じ帰る間如何にも寒きが故,弥一枯木かれ枝を集めて火を燃すに,枯木かれ枝しめりて不燃。依って桧の杖を突いたるが是を削りて燃せしにて漸々に燃付たり。しばし当りて立出るに中々寒くして,満身粟起こして堪えがたし。しばし過て未知形をみとめ下りて,山葵谷に出。川幅五六間,岩崩川にして水清冷,満川山葵を生ず。然れども根至て細し。二,三丁下りて,高野谷と出合ふ。二,三丁此の谷を上りて開拓場に到る。此処後ろに国見岳,経が峯を負って前大台の原にし,頗る暖地の様なり。然れどもいばら生え甚歩行がたし。爰に一ツの古材をあつめて作りし野宿小屋有に,入りて休ふ。此処は,明治三,四年の頃に京都興正寺のけらい脇谷,高橋,内田の三人来て,此辺一丁歩斗を開拓して雑穀,試みし処なりと。
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茨が生えていると書いてあるが、これは現在はない。たぶん想像だが、開拓放棄して十数年後に訪れているので、樹木が切り払われ、日差しが入って茨が版もしたのかもしれない。川にはワサビが生えていて、味噌汁の具にしたと書いてあるが、確認して来なかった。

大台紀行 松浦武四郎 乙酉紀行 1885年5月18日
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今日は亀と弥は此辺の谷々を見に行。我は清造を連て滝に到らんと八時頃より出立。倒れ木を潜りまたぎ等して四五丁行,大和谷に。また五六丁行て,逆川と出合ふ。此源は大桧の上,大和谷の源は日本の鼻の下より来り,桂谷を合して爰に来る。三四丁下り大岩峨々たるを細引きを下げ,また流木をわたり等して下る。西の滝の銚子口に到る。此滝岩面を落つること次に図する如し。爰より眺望すれば大蛇ぐら,大甑,小甑,竜が辻等より見ゆるなり。

どうやら西の滝の落ち口までいって、ロープで降りて覗き込んだらしい。西の滝だと昨日の千石クラは見えないが、大台の南面は断崖になっていることが確認できたはずだ。この後、名古屋谷に入り末端を確かめて登返して七ツ池まで行っている。西大台を1日でぐるっと周回しているということだ。谷の名前や地名は現在と同じだ。このルートで歩いてみたいと思うが、たぶん許可が下りないだろう。

    
開墾跡             バイケイソウの群落

気がつくと開墾跡まで来ていた。川が流れ平地が広がっている。川にはアマゴが泳ぎ人をあまり警戒していないようだ。苔むした倒木が絵になっていた。少し早いが休憩し昼食にした。展望分岐があり0.8kmと案内があったが、ガスでよい展望が期待できないので却下することにして、帰路に着いた。

      
苔むした倒木            展望分岐

つり橋を二つ渡り、ゴロゴロ坂を登っていくと巡視員さんと出会った。入山者のリストを持っていてチェックを受けた。昨日のクライミングのことを話しすると、何パーティー入ったかを確認し、蒸篭グラも人気あるよと教えてくれた。クライマーはこれから多くなってくるそうだ。

    
吊り橋                アマゴが泳いでいた

      
色鮮やかなヤマツツジ

ゲートまで戻ってくると巡視員さんに声をかけられた。どうやら二人体制で巡視しているようだ。ビジターセンターでケースを返却し昼前に大台ケ原を後にした。時間にもゆとりがあったので、久しぶりに入之波温泉に立ち寄った。茶色く濁っていて、効能がありそうな湯だった。吉野で柿の葉寿司を土産に買い、針テラスで天理ラーメンを食べて帰路に着いた。今回も充実した内容の山行になった。誰もが簡単に行けるようになった大台ケ原を武四郎はどう思うだろうか。

    
ぐるっと周回して駐車場に戻る


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