慰霊登山@御池岳(鈴鹿) 2012年5月13日 ホーム |
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■慰霊登山@御池岳(鈴鹿)2012年5月13日 No.670 約20名の参加となった。遭難現場へはバリエーションルートになるため、入山が初めてとなるご家族の方や関係者の方々のサポートが我々の任務だ。 石槫トンネルが利用できるようになり、三重県側から永源寺町へのアプローチが短縮され便利になったとはいえ、登山口となる御池橋までが遠い。集落のある君ケ畑まで道路がよく整備されているが、その先は林道となり道路の落石を避けながらの通行となる。4月下旬から捜索、搬出、慰霊と3度目の入山となった。 長く続いた捜索活動も発見、搬出でピリオドが打たれ、我々捜索隊員の肩の荷が軽くなった。そして今日は慰霊登山。遭難原因の究明や、捜索活動の在り方など、残された課題は多いが、とりあえず、今回の慰霊登山は気持ちの整理となるだろう。 新緑が川面に映る清らかなゴロ谷を歩きはじめる。ゴロ谷とはこれいかに。大小の岩石で埋まっているからだろうが、穏やかな谷を見ていると名にそぐわないように思う。しかし、ひとたび自然が牙をむくと荒々しい谷へと変貌するのだろう。岸辺にはニリンソウやマルバコンロンソウが花盛り、トリカブトも葉を拡げて背が高くなってきていた。アザミ谷を左に見送り、さらに奥に進むと第四尾根の出合いに到着した。 出合で急登に備え小休止。先行隊がステップを切る土木作業をしながらルートを整備していく。大変な作業だ。個人山行と違い捜索隊には、120パーセントの安全確保が求められる。登り始めるとすぐ、満開のホンシャクナゲが出迎えてくれた。今年は裏年だろうと思い込んでいたが、この第4尾根に関しては当てはまらない。見事に花をつけている。痩せ尾根がシャクナゲの回廊になっていた。この花道は、大切な伴侶を迎えるための、Nさんの粋な計らいなのだろう。 傾斜が緩み尾根が広がってくると、シャクナゲが少なくなり、ブナ林へと変わっていく。林床にはバイケイソウが繁茂し、ブナ、シデ、チドリノキ、ミズナラ、オオイタヤメイゲツなどが若葉を開き、素晴らしい落葉樹林をつくっている。上部にガレ場さえなければいいルートになるのだが。 さて、標高950mまで高度を稼ぎ小休止を入れる。ここからは谷の上部のガレ場を二つトラバースしなければならない。林床をバイケイソウが覆い、大小の岩や石が露出し、樹木が生えているので高度感は麻痺するが、傾斜のきつい斜面で油断はできない。大小の岩は土石の上に乗った状態なので、不用意に掴まるとぐらっと動き落石を誘発する。ここはアルピニストがロープを使い、コンテで主賓をリード。今日は特別、お姫様あつかい。120パーセントの安全確保でやっと現地に到着した。 Kさんが導師を努め、般若心経を唱える。会長がラジカセを持参し、Nさんに「穂高よさらば(クリックするとYouTubeで再生します)」を聞かせてあげました。 岳人にとって穂高はあこがれ、Nさんもきっとまた行きたかったと思います。皆の目から涙が溢れてきました。
慰霊後、ご家族と関係者はケルンを囲んで食事をし、天狗岩を目指し少し登ってみることに、我々は谷に降りて捜し物をした。勾配がきついので落石に注意して懸垂で下降し捜索、ブルージックで登り返した。登山用品を数点回収できた。 残念ながら情報機器は見つからなかった。名残は惜しいが、時間があるので13時過ぎに帰路についた。 痩せ尾根にさしかかるとシャクナゲが一層、花を開いていた。慎重にゴロ谷まで下り小休止。若いカップルが本流から下っていた。大勢がいたのでびっくりしただろう。 我々は大休止後、岸辺に咲くニリンソウやタニギキョウ、マルバコンロンソウの花を愛でながら谷を下った。そして御池橋でご家族からあいさつをいだだき、最後に対策委員会を代表してTさんが、「これからのご家族の心のケアーも我々の仕事」と締めくくった。 |
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